シンフォニーの森

シンフォニーの森

The Story of Symphony Forest

ノヤン先生の棲む「シンフォニーの森」のお話

シンフォニーマーケティングのシンボルでもあるノヤン先生が棲む「シンフォニーの森」を紹介します。

The Story of Symphony Forest

関東平野は、群馬と新潟の県境の山々を背にして太平洋に向かって扇状に拡がっています。その扇の要の位置に北関東を代表する赤城連山がどっかり座っています。

森の後ろには赤城連山のひとつ鍋割山がそびえています

森の後ろには赤城連山のひとつ鍋割山がそびえています

森のはずれから観た関東平野。空気の澄んだ日には富士山や都心の超高層ビルが見えます

森のはずれから観た関東平野。空気の澄んだ日には富士山や都心の超高層ビルが見えます

赤城山は裾野の長い美しい山ですが、その南側の山麓の標高約500mのところに「ノヤン先生の棲むシンフォニーの森」があります。

シンフォニーマーケティングを設立した2年後の1992年に私は、放置され荒れ放題だったこの森に出会いました。

ノヤン先生の棲むシンフォニーの森です

ノヤン先生の棲むシンフォニーの森です

私はマーケティングの仕事とは別に「森の再生」をライフワークにしています。学生の頃から日本野鳥の会、群馬県自然保護連盟、森林の会、などいくつかの自然保護団体のメンバーで、休日には双眼鏡を片手に鳥や動物を追いかけて山や森を歩き回っていました。

この時も、年々深刻になる赤城山南面の樹木の立ち枯れの調査をしていました。

当時その原因と言われていたのはマツクイムシの被害でした。日本中どこでもそうですが、マツ枯れの被害は凄まじいものです。
その調査の中で、特に被害木が多かったこの森を見つけたのです。立ち枯れたアカマツが多く、それが倒れたまま放置してあるので、マツクイムシの正体と言われるマツノザイセンチュウや、それを媒介するマツノマダラカミキリ、そしてシロアリなどの繁殖の温床になっていたのです。早急に手入れをしないと周辺の森もやられてしまうのですが、私有地なので勝手に入って木を切るわけにもいかず、地元の森林組合も困っていました。

調べてみるとその森の所有者は東京に住んでいる人でした。地元の人はまったく面識が無く、もう30年以上も人が入っていないという、典型的な「放置された森」でした。

荒れた不健康な状態で、篠竹やアカマツ、杉などが混み過ぎて光の入らない暗い鬱蒼とした森でしたが、僅かに森の奥の沢沿いは伐採から逃れた樹齢200年近いケヤキやナラ、ヤマザクラが在りました。

霧が出た朝の紅葉の森です。音の無い幻想的な世界です

霧が出た朝の紅葉の森です。音の無い幻想的な世界です

植林した若木が元気に育つと本当にうれしくなります

植林した若木が元気に育つと本当にうれしくなります

丁度その頃、私は自然派作家と言われるC・W・ニコルさんや倉本聰さん、椎名誠さんたちと「反対運動をしない・政府と喧嘩をしない」という新しいコンセプトの環境保護団体「自然・文化創造工場」(クリエイティブコンサベーションクラブ)の創設に事務局として参加していました。

その活動の中で、奥利根のブナの原生林や、足尾銅山の跡地、今は世界遺産となった白神山地のブナの原生林の周辺林など、いくつもの荒れた森を再生する活動に取り組んでいました。

そうした経験が在ったので、この森を初めて見た時「今は荒れ果てているが、ここは手入れをすれば素晴らしい森に生き返る」と直感したのです。小さいけれど年間を通じて水量の変わらない沢が南北に流れ、沢の西側の斜面なので陽当たりが良く、何よりも堆積した腐葉土が素晴らしく、苗木がすくすく育つ予感がしたのです。

私は周辺の森を救うためにも、その森の間伐や枝打ちをする必要があると思い、その許可をもらうために持ち主を探し出すことにしました。いろいろ辿ってやっと数ヶ月後に突き止めた地主さんは、当時東京都の西部に住んでいた群馬県出身の年配の方でした。その方は東京で成功した後の老後の住まいを生まれ故郷に建てるつもりで20年前にこの土地を購入したのですが、家族が田舎暮らしを嫌い、結局放ったらかしになってしまった、と話してくれました。

「そうですか、そんなに荒れてしまいましたか、ならばあなたの手で元気な森に戻してあげてください」

そう言ってご老人はその土地を20年前に購入した価格で私に譲ってくれました。翌年、少し元気になった森の写真を送ろうとご老人の田無市のお宅に連絡すると既に還らぬ人になっていました。その後、周辺の森も少しずつ買い足して今ではシンフォニーの森は、約16000m2になっています。

この森は終戦直後に一度自然林を伐採し、そこに杉とアカマツを植林し、以後まったく放置されてきた森でした。

これは「皆伐(かいばつ)」という手法で、一定の面積を一斉に伐採し、丸坊主にした上で杉などの同一樹種を整然と植林するのですが、こんな風に皆伐された森は言わば「材木の畑」ですから、自然の生態系のバランスを完全に失っています。ですから人間が数十年にわたって、間伐や枝打ちなどこまめに手入れをしてあげないと健康を保つことはできません。

しかし、この森は植林後約40年間まったく手入れをされずに放置されたため、絵に描いたような不健康な森だったのです。間伐も枝打ちもしていないので、木や枝の密度が混みすぎていて、一本一本の木はヒョロヒョロのやせっぽちでした。

木は光合成をするための枝葉と、地中から水分やミネラルを吸い上げるための根を張るスペースが無ければ健康を保てません。高密度で植林されて間引きもしないで放置されれば、それぞれの木はこのスペースが確保できませんから、まるで満員のエレベーターの中のような状態になります。
しかも、混みすぎた杉の森は光も風も通りませんから地面(林床と呼ぶ)に光が届きません。そのせいで植物の種類も極端に少なく、それを餌に森を訪れる鳥や動物の種類も少なかったのです。

手袋をはめて、さぁ森の手入れだ

手袋をはめて、さぁ森の手入れだ

篠竹との戦いがもっとも手強いのです

篠竹との戦いがもっとも手強いのです

私は、毎週のようにこの森に通い、混み過ぎた木を間伐し、薮を払い、空いたスペースに元々この地域に自生していたであろう落葉広葉樹の苗木を植林していきました。ブナやミズナラ、数種類のカエデやモミ、シラカバ、ウダイカンバ、ナナカマドなど、いずれも成長するのに200年から300年掛かる樹です。

それらの苗木を地形、陽当り、水はけなどを考え、森全体が200年後、300年後にどう育つか、どんな鳥が棲み、どんな動物が暮らし、どんな植物の生態系にしたいか、というビジョンを考えてバランス良く間伐や植林をしていくのです。

これほど創造的で楽しい作業は他にないでしょう。

間伐した木は薪になり、山小屋の薪ストーブにくべられて部屋を暖め、また杭や土止めに使われて斜面の腐葉土を守り、無駄になることなく自然に還っていきます。

昼間は森で働き、夜はコテージで薪ストーブの炎を見ながらコーヒーを片手に好きな本を開きます。2008年に出版した「はじめてのマーケティング100問100答」もこの森のコテージで書きました。雑誌の連載記事も、キャンパスのコラムの大半も、週末にこの森で書くことが多いのです。

森の奥の沢の近くに樹齢200年近いケヤキの大木が在ります。この森では最も大きな王様の木です。この木に一羽のオオコノハズクが棲んでいます。私の相棒、ノヤン先生です。

コテージで本を読んでいると、静寂の森の奥から時おり「ポッポゥ」という声が聞こえてきます。

「ノヤン先生、起きたかな?」

そんなことを考えながら、読書を続けます。至福のひと時であり、自分を取り戻せる時間でもあります。

こうして手を掛ければ掛けるほど、森は豊かに美しくなっていきました。

春から夏にかけてこの森で観ることが出来る野鳥の種類が毎年増え、6月にはキビタキ、オオルリ、シジュウカラ、ウソ、カッコウ、ホトトギス、アカゲラなどの野鳥の囀りで溢れるほどになりました。野鳥や野ネズミなどの小動物が増えたので、タカやフクロウなどの猛禽類も目にするようになり、絶滅危惧種に指定されているオオタカも見られるようになったのです。

植物の種類も急激に増えました。森に光を入れ、風が通るようになると、自生していたクリ、ヤマザクラ、ハナミズキ、ケヤキ、コナラなどが空いたスペースに大きく枝を広げて成長し始めたのです。低木のツツジやシダ類、そして山椒の木などがしっかり根を張って斜面を支えてくれました。

もちろん、植林したブナ、ミズナラ、コナラ、イタヤカエデ、サトウカエデなども元気に育っています。予想通り、ここの土は最高でした。特にブナは元気で、毎年植林して、もう200本以上植えていますが、活着率も良く、発育も良好です。数百年後にはブナを中心とした豊かな混成林になるでしょう。

そして毎年感じることは湿度と陽光に恵まれた日本の森林の復元力です。

伐採はチェーンソーを使います。慎重に、気をつけて・・・

伐採はチェーンソーを使います。慎重に、気をつけて・・・

間伐や植林にはボランティアも参加してくれます。相談しながら、慎重に

間伐や植林にはボランティアも参加してくれます。
相談しながら、慎重に

わずか20年で荒れ放題だった森に彩りが加わり、秋には見事な紅葉を見せてくれるようになりました。冬になると、雪の上についた足跡でこの森に棲む、あるいは訪れる動物の種類が確実に増えているのが判ります。リス、ムササビ、野ウサギ、タヌキ、キツネ、イタチ・・・。最近ではクマやシカ、イノシシまでも遊びに来てくれるようになりました。

こうして毎週のようにこの森で作業をしながら、私自身どれほど心を癒されているか判りません。

都会では気がつかない四季の変化を感じながら、この森を救うつもりでいた自分が、いつの間にかこの森に癒されていることに気がつきます。土に触れ、藪を払い、木を伐り、苗木を植え、荒れた森を美しい森へと復元していく作業の中で、自分の中のストレスがドンドン軽くなっていることに気がつくのです。

森の生態系のバランスを復元する作業は、実は人の心のバランスを取り戻す作業でもあるのかもしれないと最近は考えています。

この森が、本当に老木から若木までがバランス良く揃い、老木にできた洞の中で鳥や動物が巣を作るような「自然の生態系」に戻るまでには200年から300年は掛かるでしょう。残念ながら私たちは、その姿を見ることは出来ません。

でも、今始めるから300年後の素晴らしい森があるのだ、と私たちは考えています。

日本の国土の67%を占める森林が豊かにならない限り、この国の自然が豊かになることはありません。環境を守るために個人として、企業として出来ることは多いと考えています。私たちは1992年にこの森を購入して整備することを選びました。森を購入した時のシンフォニーマーケティングの資本金は1000万円。売上も5000万円ほどだったと思います。

小さな企業にでも、個人にでも、始められる活動はきっとあります。

私たちはこれからも、ノヤン先生の棲むこのシンフォニーの森を大切に育てていきたいと考えています。

「森を創ることは未来を創ること」だと確信しているからです。

ケヤキやナラの大木に囲まれた森のコテージです

ケヤキやナラの大木に囲まれた森のコテージです

シンフォニーの森について

関東平野を一望する赤城山麓の中腹、標高500m
ここに私たちの小さな森「Symphony Forest」が在ります。

私たちは放置され、荒れ放題になっていたこの森を1993年に買い取り、生態系のバランスの取れた健康な森に復元するプロジェクトに取り組んでいます。
間伐し、明るい環境を作り、そこにブナやミズナラ、カエデなど、この森の生態系に合った落葉広葉樹を植林しています。
私たちは200年後のこの森の姿を見ることは出来ませんが、その頃にはここは生態系のバランスの取れた素晴らしい森になっているに違い在りません。
森を創る事は「未来を創る事」だと私たちは考えています。

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